第3回世界漫遊紀行の講座レポート

イベント報告

 

三和導代です。3月24日は、エチオピアがテーマでした。私がこれまで5回訪問した観光地としてのエチオピア、エチオピアのソロモン王とシバの女王の神話、エチオピアのカレンダーについてもお話させていただきました。

 

 

エチオピアは紀元前10世紀のシバの女王とソロモン王の子、メクネスⅠ世を伝承上の国家の起源としています。当時、エチオピアとイエメンを統治する女王であった才識兼美のシバの女王はエルサレムのソロモン王の元へ訪れ、二人はお互いに惹かれ合い、シバの女王は子供を宿すことになります。しかし、女王は母国の統治のためにエチオピアに帰国、メネリックⅠ世を出産します。成人したメネリックⅠ世はエルサレムを訪問しますが、多数のユダヤ人とエチオピアに戻る際に、エルサレムの神殿にあったアーク(約3000年前、シナイ山でモーゼが神から授けられた十戒を刻んだ2枚の石板をしまった箱)を持ち帰ったとされて言われています。ユダヤ人にとっての宝物、失われたアークをユダヤ人は3000年間探し求めています。また日本の四国の剣山にこのアークがあるのでは?とも囁かれています。隠密に大勢のユダヤ人が来日しています。これらの経緯からエチオピア皇室を象徴する紋章はソロモン王を由来する五芒星となっており、エチオピアの国章や国旗もそれにちなむ形となりました。

 

エチオピア暦では1年は13ヶ月、30日からなる12ヶ月と5~6日しかない1ヶ月から成り立っています。これは超古代の日本暦と大変似ています。1ヶ月は30日でした。竹内文書によりますと、天神第6代は1年360日を実測、30日で1か月、12か月で1年、360日の暦を天皇と皇后で制定されました。立(タツ)十日、円(マド)十日、籠(コモリ)十日を合わせて、1か月と定め、12ヶ月を1年と定めました。何十万年を経て、天神第7代の1年は363日に増え、天神第7代の終わりには364日、つまり12か月に閏日を4日加えたという記録があります。現在の日本はこの暦を使用していませんが、エチオピアでは日本の超古代の暦の名残を今にも残しています。上古14代の天皇、国之常立天皇は天浮船(宇宙船)にてエチオピアのイサワ浜からゴンダルに天降り、国守を任命したという記述もあります。超古代において既に日本とエチオピアとは深い交流があったのです。

 

次回は天浮船(宇宙船)にて万国を巡廻した武内宿禰についてお話しをさせていただきます。